Michael Jackson

〜リアルタイム回顧録



MJと私では、僕とMJとの出会いなどを書いてみたいと思います。
MJの過去に残した軌跡は、関係書籍や他サイト様など多角的に分析・解説されています。
僕が同じような事を書いても、情報が重複し、また薄っぺらい内容になりそうなので、ここでは僕とMJの7年間のリアルタイムを一ファンの目線から回顧してみようと思います。
「こんな人もいるんだ〜」という感じで読んでいただけたらと思います。ちなみに書いていたらめちゃくちゃ長くなったので適当に章分けしました。

■出会いから裁判まで

MJを無意識のうちに認識したのは、幼稚園に通うくらいの年齢の時に、家のテレビでゾンビが踊る映像を見た時だとおもう。 衛星放送は見れなかったから、たぶん家にあったベータビデオ(うちはソニー派でした)を家族の誰かが見ていたんじゃないかな。 この映像はなぜか頭の中に強烈に残っていた。そのうちそれはThrillerのPVだったと分かる。

時は流れ2002年、たまたまInvincibleのCDとDangerous(友人が焼いたMD)を聴いていました。 当時高校生で家から学校まで50分くらい自転車通学だった僕にとって音楽を聞く事は唯一の楽しみだった。 なぜなら、田舎なので農道をひたすら真っ直ぐ10キロ以上進むだけなんです。 周りは田んぼで、時期によっては虫が大量発生して鼻に入ったり、とにかく最悪でした(笑) 帰り道に「じゃあ○○に寄ろうか!」という事はまずありえません。なぜなら、帰り道に寄れるような遊べる場所が無かったからです。 でも、今思えば周りに建物が無い中をひたすら真っ直ぐ進む開放感というのは東京では味わえないし、たまに懐かしく思う。。 そんな自転車通学のお供がDangerousだった。ただいつも最初から再生してたので、最後まで聴くことは殆どなかったけどね(笑・・・) ずーっと同じMD聴いてたから、いつも同じ地点で同じ曲が流れるんですね(笑) 例えばAという場所を通過する時はいつものはHeal The Worldが流れるのに、今日はBlack Or White...遅刻する!!と思ってみたり。 そんな状況が電車通学に切り替えるまで続きました。(JanetのDamita Jo、R.KellyのChocolate Factoryとか90年以降のR&B中心に聞いていました)

そんな生活を繰り返していて、「自分でCD買おう」と、近くの電気屋(CD屋ではなく電気屋で買った!)でOff The WallBlood On The Dance FloorのCDを新品で購入する。 当時Soul/Discoサウンドは自分にとって取っ付きづらく、Blood〜ばかりを聴いていた。Remix先行だったので、その後HIStoryを買った時にオリジナルに違和感を覚えるという奇妙な体験をする。 ちなみに、映像物初体験はDangerousのSF集でした。これも電気屋(笑)で購入しました。 Black Or Whiteの映像でのダンスを見た衝撃は今でも覚えています。

■裁判期

2003年11月に逮捕される前に、Jacksonstreetという対象をThe Jacksonsに絞ったサイトを開設した。 当時WikipediaにもまだJacksonsの項はなく、掲示板にも色々な人が書き込みしてくれました。そしてリアルで語れない分思いっきり語らせてもらいました。 2003年にはNumber Onesという世界各国で一位になった曲を収録したアルバムが発売される。全米一位じゃなく世界で一位というのがスーパースターのマイケルらしいと思った。 そして、ベスト盤とはいえ初のリアルタイム音源発表ということでとても楽しみだった。しかし発売と同時にマイケルは逮捕されてしまった・・・。

速報でニュースを聞いた時、「またよくあるゴシップだろ〜」と思っていた。なぜなら、マイケルについてメディアで語られるのは作品ではなく、ゴシップである事が常だったから。。。 しかし、残念な事にこれが逮捕された事は事実で、「有罪なら音楽活動は出来ないだろう」という報道を聞いてげんなりしたり、とにかく彼に関する明るいニュースはなかった。

対照的に、Princeは04年にMusicologyをメジャーレーベルから発表した。ビルボードチャート3位を十年以上ぶりに獲得し「Princeカムバック」と呼ばれていました。 世間ではカムバックと呼ばれてたけれど、実際はネット配信だとか、インディーズから作品は発表していたしライブ活動も精力的にしていました。 僕はこのカムバックという言葉に違和感を感じつつ、メジャーでメディアが報道しない限り興味の無い人には情報は伝わらないんだな〜と感じていた。 そして、Princeがエンターテイメントの表舞台に出ているのに、マイケルの扱いがアーティストではなくテレビ番組のネタとして扱われている事に日々悶々としていました。

裁判中の04年にThe Ultimate Collectionが発売される。マイケルを知りたいなら、どんなベスト盤よりもこの作品が良いのではないだろうか? J5時代を含む全時代のベスト4枚組(未発表曲なども含む)と92年にブカレスト(ルーマニア)で行ったDangerousツアーのDVDまで入っている。 Dangerousの映像はブートとして有名で、僕もすでに何度も見ていた作品だったけれど、オフィシャルという事が嬉しかった。 また、自身は逮捕されている状態(しかも有罪の場合音楽活動は難しい)にも関わらず、Heal The World、Earth Songに代表されるメッセージソングWe've Had Enoughを発表する。 限定商品だる事、そしてあまり宣伝されなかったため、この曲はとてもマイナーであるけれど、自分にとってはリアルタイムで経験した数少ない新曲であり、大切な曲です。 イラク戦争について言及しているその歌詞に、一貫して主張が崩れないマイケルの強い決意を感じました。そしてその歌声の強さに鳥肌が立ちました。

日々更新される裁判の情報を尻目に、僕は受験勉強に励んでいた。現実を直視するのが怖かったというのもあるかもしれない。 感銘を受けた人が苦しんでいるのを見るという事はいつでも辛いことだ。無論、本人が受けていたプレッシャーというものは計り知れないものだった事は間違いない。

2005年、ついに判決が出る。結果は訴えられていた件すべてで無罪を勝ち取った後、My Worldというオフィシャルリリースの写真集が発売された。 これは過去に発売した詩(一部は手書き)と、ファンに向けて書いたといわれる曲You Are So Beautifulの詩も収録された。 詩の前に彼の言葉でこのような記述がある。

ファンの存在があるからこそ、私は仕事を続けている。私にとってファンは家族であり、友人であり、そして子供だと思っている。
みんなの存在が無かったら今の私は無かったと思う。この本を世界中の私のファンに捧げます。そして、私がみんなの事をどれだけ愛しているか知って欲しい。

僕はこの本を読み、MJのファンへの強い想いに心がぐっときたのと同時に、小さな事かもしれないけれど、メディアの偏向報道に対して意見するなどしなかった自分を悔いた。

■2度の来日とThis Is It公演発表

2006年マイケルはMTV Video Music Award Japanで賞を受賞するために来日した。場所は代々木体育館。 06年に大学進学した僕は、代々木公園に向った。そして生マイケルと対面した。今まで出会った人の中でもっともオーラのある人だった。 彼は車に乗っていたが、窓を開けて笑顔で手を振っていた。写真を撮りたかったんだけれど、そんな余裕はなかった(笑) そして、1秒くらいの出来事だったはずだが、それは1分くらいに感じた。まぁ、それだけ興奮状態だったんだろうな〜。 当日は雨が降ってたけど、濡れてもまったく気にならなかった程僕は興奮していました

08年にはThriller25周年が発売するも、諸事情あってスルー(詳しくは11/29の記事に書きました)した。 09年3月には「マイケルからアナウンスがある」というニュースが流れる。この時もめちゃくちゃ興奮した。ファンになってはじめてアーティストマイケルとしての会見だったから。 会見までの日々、僕はその会見で何を発表するのかずーっと推理していた。昨年辺りからアルバムを作っているという話を耳にしていたから、「ついにアルバム発表か!」とか、「噂のワールドツアーか?」とか。

会見はロンドンで開かれたので、時差の関係で日本では夜中の2時(1時だったっけ?)くらいに放送すると発表されていました。 次の日は朝早くから授業だったけれど、「リアルタイムで見たいな〜」、「2時くらいなら、まあ起きれるだろう」と判断。 12時回ったあたりから、落ち着きをなくしていた(笑)。この状況ずっと続くと体に良くない!なんて思っていたら、予定時刻を過ぎても会見が始まらない! ひたすら録画放送のSky News(イギリスのニュース)を見ていた(しかも同じ内容)。何度も寝ようと思ったけど、悔しくて眠れなくてね(笑)頑張りましたよ〜。

そして、4時(3時だったかも)くらいにいきなりTeaserが放送された。「おおっ!!」そう思ったのもつかの間、人が殺到したのかサイトが激重になる サブのPCも起動して、2台で会見に挑みましたよ。ええ。その会見がThis Is It公演開催のアナウンスでした。 久々のマイケルとコンサートをする、つまりエンターテイメント界に復帰するという彼の発言に1人狂喜乱舞してました。 と同時に「これが最後のカーテンコールだ」という発言が妙に耳にひっかかって、このコンサートを最後に引退するのかな。。。とも思ったりした。 後日、This Is It公演のチケットが発売される。

チケット販売を開始後も自分自身は予定があわず(進路について問題かかえていた。)、映像が後で発売されるという話も聞いたのでDVDで我慢するか。。。と考える。 が、しかし当初10公演のはずが続々と日程が増えていき、気づいたら50公演2010年まで予定が入っていた。

2月だったら行けるかも!そう思い弟と電話で「2月にロンドン行くか〜」なんて話をしていた。50公演という事を考えると正直キャンセルの可能性もあった。 しかし、せっかくの機会だからやっぱり、行きたい。よし、買おう!と意気込んだのだが・・・
・・・買えねぇ(苦笑)
売り切れでした。マイケル人気を実感すると共に、自身も色々決断する時期だったので今回は後の販売で我慢しよう。そう決めた。

そうこうしているうちに、気づいたらマイケルの髪型はカーリーヘアーに戻っていた。いつの時期でも彼はカーリーヘアーが似合っている。

■09/06/25

朝7時半だったか、テレビから「マイケルジャクソンが意識不明」というニュースが伝わってきた。 起きたばかりだったから夢かと思った。。むしろ、僕の中だけの不謹慎な夢だったら本当によかった。 03年逮捕の時のようにメディアのマイケル報道を簡単に信じる気にはならなかった。 すぐにPCでBBCとCNNのページにアクセスすると、Breaking Newsとしてマイケルが昏睡状態という事を報じていた。

そしてしばらくしてそれは「昏睡状態」から「死去」に変わった。

家にずっと居るのも気分悪いので授業を受けに行った。外の空気も吸いたかったのもある。 人間ってあまりに突然過ぎる事が起きると頭が混乱するんですね、一定時間経つ毎に「あれはなんだったんだ?」という感覚に襲われた。 どんな事があろうと、僕は泣き顔だけは人に見せたくない。そう思って冷静に勤めていた。 だから、周りの人はそこまで衝撃を受けていないと思ったかもしれない。しかし、実際心は泣いていた。

大学の授業終了後に一服していると、前を通った人が何かを踏んづけた。それは僕のメガネだった。 ・・・落としてた事にも気づかなかった。。多分、心が動揺していたんだろうと思う。 そんな感じの一日だった。やたら細かい事を詳しく覚えている一日だ。そして長かった。

■現在

This Is It公演に合わせて企画されていたソロアルバムとJacksonsのアルバムは結局追悼盤になってしまった。 今まで散々願いながらも実現しなかった「貴重音源」の再発もあっさりと実現した。嬉しいけれど、本当は複雑でした。 薬物が原因の死と報道され、主治医が逮捕され、映画の公開がアナウンスされ、映画が公開され、大盛況で。。。

あれだけマイケルを苦しめたマスコミが、彼の死を境目に態度が180度変わってきた事をしっかりと見届けてきた。 具体的には彼を扱い際のテーマが変わった。「数々の奇行と呼ばれる事」から「彼の残した偉大な業績」へ。 今までファンの抗議を何度受けてもその方向性を変えなかったマスコミだったのにこうもあっさりと変わるものなのか。。 そしてその影響力といったらかなりのもので、世間の彼へのイメージも変わってきているような気がする。 それは、映画を見た非ファンの好評な感想だったり、映画の大ヒットであったり。。 マイケル自身は何も変わってないのだが、報道の仕方でこうも印象が違うのか!と思う。 これは是非、マイケル本人に見て欲しかった。

正直、このマイケル旋風が彼の死によってもたらされたモノであると思うと、どうしてもやりきれない気持ちになる。 しかし、彼の残した数々の作品がやっと正当な評価を受けるようになった事は、ファンとしては嬉しい。

■最後に

最後まで読んでいただきありがとうございました。書いていると「あれも」「これも」と書いていたらこんな風になっちゃいました。 まぁ、そのうち文章を見直すます!(いつも言うセリフだけど(笑)

09/12/4 夜吉(taichi)
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